Fucking My Life ! 四十にして惑う

四十のおっさんに降りかかる災難のあれこれ

頚椎症性神経根症~治療中にやった事やめた事やめなかった事

【やめた事】長時間のうつむく姿勢(スマホ、ポケモンGO)、首牽引

【やった事】ビタミンB群摂取(B12が主目的)首凝りマッサージ

【やめなかった事】筋トレ(回数は少なくてもセットを増やしてやり続けた)

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頚椎症性神経根症~私が絶対に手放せない物

頚椎症性神経根症の発症から3ヶ月が経とうとしている。昨日の(5月14日・日曜)の状況は...

左肩甲骨付近の軽めの痛み(左腕がつる感じ)と右手指(特に親指と人差し指)の軽いシビレだった。お店で紙幣を渡す時には緊張する。2枚重なってはいないかと紙の厚みを確かめるような微妙な感覚に支障が残っているからだ。

2つの症状のうち、指先のシビレよりは背中の痛み(軽くなったとはいえ)の方を取り除きたい。そんな時に私は ATEX アテックス ルルド マッサージクッション AX-HL148M シャイニーブラウン を床に置き、すぐその上に横になる。丸い突起が「の」の字を書くように左右の首筋をマッサージしてくれるのだ。上方に強い力で円を描くようにしっかり押し上げてくれる。少しも痛くなくとても気持ちがいい。頚椎症性神経根症による肩甲骨付近の痛みはそれ自体ではなく首の痛みに起因するものらしいので、肩甲骨にではなくあくまで首に使用する。

整形外科では「首牽引」を3、4回試してみたが、あんなものに効果を感じないと言う患者は多いようだ。欧米の多くの医者や学者が猛烈に反対するなか、なぜか日本では行われているという。機械が首を引っ張ろうとする時、私の体は自然に抵抗して顎を引き、首をすくめようとどうしても変な力が入ってしまった。それより何より、ズレても変形もしていない正常な頚椎全部がいっしょくたに引っ張られてしまうではないか。確かに急性期の痛みの激しい頃は、幾分痛みがラクになったように感じたこともあった。が、これに気を良くして後日、牽引のパワーレベルを上げてもらったところ、なにかとても気分が悪くなった。首に力が入りすぎて疲れたせいなのか、レベルを上げてもさしたる効果を得られなかった絶望からかはわからない。その瞬間、私は首牽引はおろか整形外科に通うことすらやめようと決めた。リハビリ室では足や腰を痛めた患者さんが人の手による施術を受けていた。首はもっとデリケートな部分ではないのか。首に限っては機械で? 結局、診断名と薬をもらうためだけの通院だった。

私は見捨てられたような暗澹たる気持ちのまま帰途についた。「どうしてこうなっちゃったんだろう。この病気はその原因や特徴を考えても、ある日突然に体に現れるものではなく、発症の前に兆候があったはず...」この時、頭の中でスパークが起きた。

30代後半から40歳にかけて、私はひどい首凝りに悩まされるようになった。長時間のパソコン作業やゲームのせいであったと思う。夢中になっているため、首凝りに耐えながらなおも続けてしまう。トイレや食事をのぞいてぶっ通しということもあった。首凝りも限界に達してくると、頭痛や吐き気に似た不快感をともなう。これはかなわないと思い飛びついたのが、上記のマッサージクッションだった。今から5年前に購入した物だが、それ以来、首凝りの解消には本当に役に立ってきた。

思い起こせば頚椎症性神経根症の発症直前、私は運転中に首凝りがひどくて吐きそうなくらいに気分が悪くなり、首を回したり倒したりするためにヘッドレストを取り外してしまいたいと何度も思った。こんな日が何日も続いていたが、私はそれでも帰宅すると筋トレをし、そのまま疲れて寝るだけで、首凝りのケアをすることはなかったのだ。

私はひらめいたとばかりに急いで押し入れからマッサージクッションを取り出した。頚椎症性神経根症は確かに「加齢→椎間板の劣化→頚椎のズレ」によって生じるようだが、ひどい首凝りがこれに密接に絡んでいるのではないかと思ったからだ。そして首凝りならこのマッサージクッションでかなり解消できたはず。さらにはこれ、「の」の字を書く要領でズレた頚椎(私の場合は第7)をピンポイントで押し上げることもできるではないか。首全体を機械で上から引っ張るより自然だし、同時に首を支える周囲の筋肉もほぐすのだ。購入済みのものだからわずかな電気代くらいしかからない。あらかじめ言っておくが私は医者ではない。私のケースが読者にマッチするかもわからない。が、私は自分を実験台にした結果を読者に報告するだけである。試されたい方は自己責任にて少しずつ行ってほしい。

私の頚椎症性神経根症は、これまで痛みやシビレの位置が変わったり、良くなったり悪くなったりしながらも、「三寒四温」のように回復に向かっている。昨日はぶり返したような気がした。このマッサージクッションをやっているうちはよかったが、やめて数時間が経つと元の木阿弥だった。ブログが2日にまたがったのは「これでは読者に勧められない」と思い、投稿をやめて下書きに戻したからだった。

翌日の月曜(現在は日付代わって火曜)のであるが、いったん下書きに戻した本記事の投稿に踏み切ったのには当然ながら理由がある。発症以来、最も痛みとシビレから開放された一日を過ごせたからである。それだけではない。昼休み、私はLa-VIE(ラヴィ) アームバー50kg ゴム製グリップ 筋トレ100回連続2セットひん曲げることができた。これはなんと頚椎症性神経根症の発症前と同じレベル。(ちなみに先週の金曜日は50回を4セット)私は ATEX アテックス ルルド マッサージクッション AX-HL148M シャイニーブラウン がだいだいだいだい大好きだ!!! 

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頚椎症性神経根症~肩甲骨周囲が痛んだかどうか

大日本住友製薬の医療情報サイトの中で、田中 靖久(公立学校共済組合東北中央病院院長)によれば、

「頸椎症性神経根症の中には、急性期を過ぎると頸部痛が意外と和らぎ、腕の痛みや手指の症状だけを主訴とする症例もあります。しかし、頸椎症性神経根症のほとんどは肩甲部の痛みで発症するため、初発症状が肩甲上部や肩甲間部など肩甲骨周囲の痛みで発症したかどうかがポイントになります。上肢および手指の痛みや痺れを訴えても、初発症状が肩甲骨周囲の痛みでなければ、末梢神経障害や頸部脊髄症を疑い、頸椎症性神経根症を否定してもいいと思います。そこが、問診上の重要な鑑別点の一つです。患者さんは、肩甲骨周囲の痛みを頸部の痛みとはとらえませんので、問診の際は肩甲上部や肩甲間部を触って「ここが痛くなかったですか」と確認することが大事です」

とのこと。

私の場合もそうだった。「寝違えたか」と思って目覚めた日の朝、左肩甲骨下に痛みを感じた。これまでも首を寝違えた時は決まってここが痛んでいたが、首の痛みが肩甲骨付近の感覚となって表われるものなのだろう。そして、これと同時に左腕から左手中指までのシビレ(後に上腕三頭筋付近の痛み)を発症していた。

発症直後に肩甲骨周囲が痛んだかどうかが、頚椎症性神経根症かどうかを見極めるポイントになるようなので、読者の方にも注意されたい。私も腕の痛みとシビレが強烈であったため、それに比べると肩甲骨付近の痛みは霞んでしまうほどだったが、整形外科のドクターには忘れずに訴えることができた。

頚椎症性神経根症~まずは現在の状況について

頚椎症性神経根症の発症からまる3ヶ月が経とうとしている。これまでの経緯詳細については順々に記していくつもりでいるが、この苦しみと戦う方、この拙ブログを読んでくださる方へ、現在の状況をまずは先にお伝えしておきたい。

「頚椎症性神経根症」と診断され、当初2週間は痛み止めの薬なしでは耐えられない時期を過ごした。また、せっかく鍛え抜いた腕が壊れたようにろくに動かず、動かないぶん日に日に痩せ衰えていく状態に恐怖や絶望感にも襲われた。いったい治るのか治らないのか、治るならどれくらいで治るのか、半年か1年、それ以上に及ぶ場合もあるという。要手術などの最悪のケースだってあるらしい。

私の場合は...3~4週間が経過する頃には薬なしでも痛みに耐えられることが多くなり、40日後に初めて(シビレは残り腕の筋力は1/4程度しか出ないものの)痛みを忘れている自分に気づくようになった。しかし、左腕から右腕に主なシビレが移動して驚く。特定の姿勢で生じる小さめの痛みと、意識すれば感じる程度のシビレが左腕に残ったまま、右腕に新たにかなりのシビレを感じるのだ。実際、右腕に力が入らない状態となった。もしや同じ痛みが今度は右腕に及ぶのかと戦慄した。

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が、右腕に痛みは感じなかった。ネット上にある多くの症例からは、片腕にのみ症状が発生することが見て取れるが、私のように(治癒の過程で)左右の逆転といった症例はあるのだろうか?この逆転の兆候と痛みの軽減は同時に生じている。そして発症から3ヶ月目の現在、右手にシビレは残っているが強いストレスを感じるほどではない。直近1ヶ月においては右腕が上がりにくい日などが時折あったが、全体的に快方に向かっているのが自分でもわかる。筋力については、リハビリにより発症前までの半分以上までには回復した。発症前の筋力に及ばない点については、これがわずかに残るシビレと関係しているのか、それともエクササイズの量が減っていたことによるのか、まだ判断ができないでいる。それでも、たとえば懸垂を20回以上、壁倒立を1分以上はできるようになっている。ほんの2週間前(痛みはもうほとんどないのにも関わらず)、懸垂は3~5回がやっとだったのだから超回復と言っていいだろう。

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頚椎症性神経根症は、基本的には保存療法によって自然治癒するとあるが、発症当初(急性期)のショックや苦痛、不安は相当なもので、自分は最悪のケースでないだろうかと気に病む。私自身、ネット上の頚椎症性神経根症患者の闘病日記などを探して回った。私の比較的軽微?な症例や回復事例も合わせ読んでいただき、幾らかでも希望を持っていただけたらと思う。

頚椎症性神経根症~原因とおぼしきもの...

45歳の私に発症した頚椎症性神経根症。その原因とおぼしき私のライフスタイルやバックグラウンドについてメモ的に記録しておく。頚椎症性神経根症に悩み、事例に興味を持たれる方は参考にされたし。

①45歳の中年オヤジである

②上半身の激しい筋トレを休まずやっていた

③隔日、早朝にランニングをしていた

④倒立をしていた

⑤ポケモンGoをしていた(地域で上位3指に入るレベルだった)

⑥首凝りがすごく気分が悪くなるほどだったが放置していた(⑤のせいか)

⑦軽箱で長時間のドライバーをしている

⑧ソファーベッドで愛犬と寝ている(思うような寝返りがうてない時も多い)

⑨発症1ヶ月前に労作性頭痛になっていた

頚椎症性神経根症~発症当日と電撃痛

2017.2.20 の朝のことだった。「ちっ、また寝違えたか…」

首と肩甲骨付近の痛み、首から左腕にかけてのシビレを感じながら目覚めた。当初左腕のシビレについては、うつぶせ寝で腕が体の下に長時間挟まっていたせいだろうと思っていた。「若い頃なら寝違えなんか半日くらいで治ってたような。それが40過ぎになってからは頻度も増えたしも治るのも遅くなったなあ」などと思いながら、それでも日課の腕立て伏せをしようと床に手を突いた。しかし、である。

できないのだ、腕立て伏せが。左腕にほとんど力が入らず、いきなり「ガクンッ」と腹這い状態になったかと思うと、今度は体を押し上げることができない。体全体でバランスを取りながら右腕だけの力で身を捩らせながら、なんとか5回繰り返すのがやっとの有様だった。それなのに、である。私は腕立て伏せができなくても他のトレーニングはやるぞと気合だけは十分だった。腕は鍛えられなくても肩は鍛えられるだろうと壁倒立を試みた。が、やはり私は倒立姿勢になるやいなや左腕から崩れ落ち、頭を床に打ちつけて転倒した。起床してから既に30分は経過していたし、これほどまで腕に力が入らないというのはさすがにおかしい。これはただのシビレではないのかも... 私は不安を感じながら出勤した。

仕事はルートドライバーで、特別重たい物を運ぶわけではなかった。なので片腕に力が入らなくとも支障はないし、何日か経てば治るだろうと楽観していた。だが、シビレはその日のうちに痛みへと変わっていった。肘を硬い所へぶつけてジーンと痛んだ経験が読者にもあるかと思うが、それに似た痛みが上腕外側(上腕三頭筋と呼ばれる部位)の奥深く、骨の方から疼くようにやってくるのだ。運転中、ジーン、ジーンと寄せては返す波のようにやってきて、左腕はシフトチェンジなどしなくても、何もしていなくても、どんな姿勢でいようとも痛む。その波のうち何回かは、目をつぶり歯を食いしばるほどに痛むのだ。

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あとでわかる「頚椎症性神経根症」に特有の「電撃痛」と呼ばれるものだった。何もしていなくてもかなり痛むが、特別な「電撃痛」を呼ぶ姿勢(「考える人」ポーズや肘を引くような姿勢)もあり、これは首と腕の両方の動きが関係するために回避するのは至難の業だった。敢えて楽な姿勢?があるとすれば、腕も首も動かさないことか。そのため、私はサイドシートやヘッドレストに腕を回して、肩を組むようにしたり掴んだりしていたが、運転中ずっとそのようなことができるわけではない。

もちろん病院には行きたかったが、しがないパートの身。「腕が痛むから」なんて理由で、当日繁忙期の職場離脱はあり得なかった。また、断続的に続く痛みにヘロヘロではあったが、動作の激しさというよりは姿勢によって生じる痛みであったため、なんとか一日を乗り切れた。運転などのように座っている時(と寝ている時-後に判明)はつらいが、立っている時や歩いている時などは比較的ラクだったせいなのかもしれない。

午前0時。痛みに耐えた一日をなんとか乗り越えて就寝へ。一晩寝れば治るかな?治ってほしいという願いは叶わなかった。一日の疲れもあり寝付けないほどではなかったが、痛みをなるべく軽減する姿勢を探すのに苦労する。仰向けが電撃痛を呼ぶのだ。横向きかうつ伏せの姿勢で寝ることになったが、やはり痛みで何度も目を覚ますことになった。 

頚椎症性神経根症~発症前夜

「これが歳を取るということなのか」と初めて唸ったのは、40代になってメタボと化していた初期の頃、手を上げようとすれば四十肩に、歩こうとすれば膝蓋骨不安定症のような症状に悩まされた時である。「ような」と書いたのは診断を受けたわけではないし重症と呼べるほどではなかったからだが、体が重くなっていく一方で筋力が下がるのだからこのような不具合が生じるのは当然だと思い、安静にするよりむしろ運動を伴うダイエットをすることで数週間から数ヶ月の比較的短期間で克服した経験がある。私は10代後半から20代後半にかけて定期的にランニングやエクササイズをしていたため体力には自信があり、体の小さな不具合をシグナルとして運動を再開ないしは増やすことで、整形外科的なトラブルを克服してきたという自負もあった。10年ぶりに発症した労作性頭痛もどうってことなかったし、10kg減量に成功した私は調子に乗っていた。しかしながら目標体重には絞り込んだが筋肉量も減っていることに気づいた私は、筋力アップのため自重トレーニングの最強メニュー、逆立ち腕立て伏せに挑もうとしていた。それだけではない。ダンベルやLa-VIE(ラヴィ) アームバー50kg ゴム製グリップ 筋トレなどの器具を使った何種類ものエクササイズ、順手逆手のそれぞれで行う懸垂など、これらを朝、夕、夜と毎日のように、暇さえあればやっていたのである。「45歳でもこれだけやれるんだ」とほくそ笑む私だったが、1つ気になる体調の不具合があった。なんとも激しい首凝りである。私はそれを放置したのだと思う。病魔の影はすぐそこまで忍び寄っていた。

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La-VIE(ラヴィ) アームバー50kg ゴム製グリップ 筋トレ

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労作性頭痛

前稿で私は、1年で10kgのダイエットと細マッチョ化に成功したと書いたが、前半の停滞期がなければ半年で、標記の「労作性頭痛」と「頚椎症性神経根症」さえなければ3ヶ月で可能であったと思っている。

それは私がもはや後のない45歳の寂しい独り者だからだ。急ぐ他ない。私は毎朝、目覚めると片腕をホカホカの布団の中から出して虚空に掲げ、次のように呟きながらゆっくりと起き上がり、早朝のランニングとトレーニングにとりかかっていた。「燃えさかる炎もこの完璧なる肉体を灼くことはできぬ。 わが肉体は無類無敵。 されど哀しみはこの肉体を凌駕するというのか」と。哀しみを纏う者こそ最強と信じて- このようにマンガや映画のヒーローに自分を投影するなどしなければ、素面で真冬の早朝ランニングなどできるものか。

ランニングのコース上には幾つかの公園があったので、私は走るだけでなくその公園の鉄棒やその他の遊具を利用して、懸垂をしたり腕立て伏せのようなことをして細マッチョ化に取り組んでいた。多少の人の目は張り合いがあって心地良いものだし、実際に公園トレーニング中、何人かの女性から声掛けや差し入れをいただいたことがある。これがフィットネスジムに通う女性は自分自身に夢中だからなのか、意外にも目を合わせることさえなかったりする。いつでもどこでも、意外性や稀少性のある細マッチョでいることは重要なことだ。作業着を着てマッチョでいても当たり前になってしまうがスーツを着てマッチョでいるとかなりモテる。いやモテた(過去)。ということで、ドラゴのようにマッチョが闊歩して当たり前の場所ではなく、ロッキーのように屋外で鍛えられることをお勧めする。お金もかからないのだから。

で話が逸れたが、とある朝もこうして鉄棒を握り締め力を込めた時だった。「うっわ、痛ってーーー!!!」後頭部の左側を、まるで脳の血管が破裂するかのような脈打つような(拍動性の)激しい痛みが襲った。場所が場所だけに、初めてだと「ひょっとしてオレ死ぬ?」と思うほどの痛みでうずくまる。ただこの労作性頭痛、初めてではなかった。初めて経験したのは10年前の35歳頃、旅先で彼女とセックスの真っ最中だった。それも一番イイ瞬間に駆け上がりフィニッシュするタイミングで。だから結果は不完全燃焼となる。他人には1ミリも同情されないであろうこれほどご勘弁願いたい突発性の病気ってあるだろうか。セックスやオナニー程度の運動?でも、息むことで生じてしまう頭痛。息まない範囲で行う筋トレは軽すぎて達成感も乏しいが私は継続した。水をよく飲み、なるべく息を止めないで運動することで痛みを軽減することができたし、1~2週間か過ぎた頃、気づいたら治っていた。そういうものらしいし「病気」と呼ぶものでもないらしい。本当の試練はその1ヶ月後にやって来た。その名は「頚椎症性神経根症」という。これは経験者として、後進?のためにも絶対に書き残しておくべきことと思った次第である。

45歳の肉体改造。細マッチョへ-

訳あって私は今年46歳になる独身のオッサンだが、タニタ 体重・体組成計 インナースキャンデュアル スマホ対応 ブラック RD-903-BKに乗っかると体内年齢は「30歳」と表示される。体脂肪率や内臓脂肪レベル、筋肉量や基礎代謝量が総合判断されて実年齢より15歳も若いというのだから、機械の方も少しは「エクセレント!」とか「インクレディブル!」などとおだてて、オッサンのテンションを上げてほしいと思うのだが、それにしても性能は本当に申し分なかった。1年前に購入した際はもっと高かった気もするが、筋肉と脂肪を本当にきちんと分けて計測できるヘルスメーターは他に見当たらなかった。ダイエットを検討している方には自信を持ってお勧めする。

180センチに届かない身長の私だが、1年前には体重が80キロを超えていた。体脂肪率は18%を超え20%になることもあった。自営業だったが仕事が激減したことで暇を持て余したうえ、女性の目も近くになかったことが体重増加に拍車をかけていた。このままではいけないとダイエットを決意。ダンベルや自重を使った筋トレで基礎代謝を上げつつランニングによる脂肪燃焼を試みたが、効果はあまり上がらず一進一退が続いた。

思い当たる理由はいろいろあるが、まず、低収入で32,000円の安アパートに住んでいたことだろう。6畳一間に物があふれ、腕立てや腹筋を行うだけのスペースがない。それだけのスペースを作るまでが億劫であり、できたとしても周囲を物に取り囲まれてなんとも息苦しいのだ。また、手を伸ばせば届きそうな所に本棚や机、テレビなどがあれば、腕や脚を動かすことを本能的に躊躇してしまう。それだけではない。ちょっと話が逸れるが、安普請のアパートの1階の部屋については、たとえ賃料が安くても決して住んではいけない。安いのには十分な理由があるからだ。そう、私の部屋はひどい湿気、バスルームの排水溝の頻繁な詰まり、流し台周辺の隙間などから発生・侵入するムカデ、ダンゴムシ、ゴキブリ、マダニ、南京虫、コバエ、クモ(これはあえて殺さずにいた)の巣窟となったのだ。押し入れを開ければカビが飛散するが、湿ってヌメっているものさえある。このような部屋の床で寝転んだり伏せたりしながら息を荒げてエクササイズするのには毎回かなりの決意を要した。かといって遠くのジムに通う元気もお金もないため、結果として付近の公園の遊具や鉄棒などを利用することになるが、天候(雨)や季節的なもの(暑さ・蚊)に左右されて続いたり続かなかったりといった状態だった。さらに、このような状態で体組成計に乗り効果が上がらなければますますやる気が削がれる。だが、最大の理由はやはりモチベーション、目に見える明確な目標がないことだった。

しかしこれらすべての状況が一変する。廃業し就職したことによってである。私はとある会社のルート配送の職に就くことになったが、そこには比較的大勢の同僚がいて、図らずも女性の比率が高かった。その中で好みの女性が3人いた。妙齢のセクシ-でスタイル抜群の謎の独身女性と、明るくてキュートでボインな人妻と、少女漫画から飛び出して来たかのようなスレンダービューティーだ。無論、配送先の幾つかにも数人のカワイ子ちゃんがいるのだ。

ところで私は下衆の極みである。正確には過去形であり現在は心の中で更生しているつもりだが、事実婚の女性と愛人に8年もの長きに渡って二股をかけていた私は、愛人を捨てて事実婚の女性の元に戻ったつもりが時すでに遅し、結果として二人の女性を同時に失うという憂き目に遭っていた。以来、無頼に生きて久しい。安アパートで安酒を食らいその日暮らしの生活を送ってきた。セカンド童貞となり恋愛の仕方も忘れてしまった。20代の頃は社内の美人を代わる代わるデートに誘い出していたのに、今ではこの3人の女性の前では借りてきた猫、蛇に睨まれた蛙。会話はおぼろでシッチャカメッチャカ。メタボになり、収入が下がるが生え際は上がり、服はヨレヨレ、車はポンコツ、部屋にはムカデと、もはや完全に男としての自信を失った私は、好みの女性を前に手も足も出なくなってしまっていた。

が、3人の大変に美しい女性たちを身近にすることで昔を思い出し、私はここでリバイバルを決意する。すぐさま虫の出る安アパートを解約し、陽当たりと見晴らしと風通しのいい小さな山の中腹にある小奇麗なアパートに引っ越した。2DKのうちダイニングルームと1部屋をトレーニングルームにすることだけが目的ではなかった。起伏に富み多少の自然が残る退屈しないランニングコースがそこにあるからだった。

 

経緯については別稿について詳述するが、冒頭に書いたように効果は劇的なものだった。 環境を変えてからの1年で体重は10kg減の70kgに、ウエストは6cm以上引き締まった(細マッチョ化については後ほどご覧いただくこととする)。ここまではすべてが順調だった。いや、もちろん肉体改造に関してのみである。が、喜んだのも束の間である。45歳の肉体に待ち構えていた過酷な運命についても同時に語らなくてはならない。

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